「…なぜ私に構うの」
「そりゃあ、興味があるからさ」
「私の子供達にでしょう?」
「それも」
「それ、も?」
「でも僕には君が一番興味深いよ。」
「そりゃそうでしょう?きょうだいだもの?」
「そして僕の女だ」
「神をも恐れぬ言葉ね」
「なに?僕が気に入らない?」
「………」
「ほら」
こんなにも。
「あいしてやってるのに」





ぼくのだいじなひと









どたばたと今日もイツ花が廊下を走る音がする。
「当主様〜!ひかり様〜!!」
口に両手をかざして呼ぶけれど、出てくる人影は無い。
「もう!何処に行かれたんですかー!?」
「街じゃないの?」
「ひょぇあ!?」
いきなり沸いた声に驚いてぴょんと飛び上がる。
ふりむくと青い髪の女子が一人。
「新羅様!」
「イツ花驚きすぎ!」と呆れ顔。
「気配消して歩かないで下さいって!いつも言ってるじゃないですかあ!」
拳を握り唾を飛ばして叫ぶイツ花。
「ハイハイごめんごめん」
軽く手を振って答える。
本人この反応を楽しんで内心爆笑しているから始末が悪い。
まあこの性格を一族皆が知っていて、なおかつ直し様の無いものだと諦めているから、
しょうがないといえばしょうがないのだが。
「アッ!そうだ新羅様!ひかり様はどちらに行かれたか知りませんか!?屋敷内にはいらっしゃら
ないみたいなんですけど…」
「だからいつものように街に繰り出してんじゃないの?今月はもう何もないし?ナニ、急ぎ?」
「いえ、そう言うわけじゃないんですけど…御命令のものを書き出してきたんです。」
といって袂から一本の巻物を取り出して見せた。
「それって…」
新羅はなにか言いかけたが、それはけたたましい赤ん坊の泣き声に遮られた。
「なっ!なによ!うちに赤ん坊なんかいないわよ!?」耳に指突っ込みながら新羅は悲鳴を上げた。
「おッ御隣の鈴木さんちの赤ちゃんです!御預かりしてたの忘れてましたあ!」同じようにしながら
イツ花が叫び返す。
「わすれんなそんなもん!」
「なんですか!?これ!」
奥からみみを押さえながら赤い髪の青年が走りこんできた。
長男、産太である。
「聞いてわかんないの!?赤ちゃんよ!」
「なんで赤ん坊がうちに!!」
「イツ花に聞いて!ああもう!うるっさい!さっさとあやしてきてよイツ花!!」
「はっはい!只今!」
この日滝家は赤ん坊に翻弄された。
夕方当主が帰ってきても誰も行き先を聞こうとはしなかった。
赤ん坊がいたから何処かに身を隠したとしか思わなかった。
そして当主はそれを否定しようとはしなかった。






「あいしてる?私を?」
「疑うんだ?」
「………疑いはしないわ。それは事実でしょうね。でも」
「でも?」
「愛していると言いながら、貴方は私を殺すでしょう」





「もうすぐ…」
「何が?」
新羅の耳は、常人に比べて遥かに性能が良い。
他の人間なら聞き取れないような、微かな呟きを彼女は聞き取った。
しかしそれは新羅にとっては常に良くあることだったから、顔も上げずに相槌を打った。
そうした独り言は、ひかりの癖だったから。
ひかりは振り返って少し首をかしげるような困っているような仕草をした。
新羅の位置から初夏の日差しが逆光になった。
ひかりがこんな風に相槌に反応するのは珍しいことだ。
新羅も洗濯物を畳む手を止めて顔を上げた。
沈黙が流れた。
「…もうすぐね……って、思ったの…」
小さく囁く。
ひどく儚げな、光の中に溶け込むようなことばだった。
「……なにが?」
新羅は冷静に次の言葉を待った。
こんな風に言葉に詰まるのは、常のことだから。
「……私の…こども…が、来るのが…」
何か憂鬱そうに、視線を落とす。
「……そうね。」
先月、ひかりは交神をした。
相手は火の神天目炎耳。
最初の子、産太の父、宇佐野茶々丸とは違う、神。
新羅が見るところ、この少女は、気にする必要な無いと言うのに、その道徳精神を
悩ませているらしかった。
交神から一月経とうと言う今でも。
「そうやって子供を不幸にするつもり?ひかり、悩みすぎなのよ。」
朝稽古から括ったままだった、長い髪に目を落とし弄びながらいう。
「幸せに、しなくちゃって……思うけど…」
「まあこんな家に生まれついたのが、運の果てだけど。どうしようもないのよ?もう」
沈黙。
みんみんと、若い蝉の声が遠く響く。
「わたしが…」
金に光るまつげが震えて。
「呪いを掛けるの……」
その呟きは口の中で消えて。
新羅の耳にも届かなかった。







「ころす…………ねぇ。」
「………………」
「………………」
「………………」
「そうしてほしいんだろう?君は」






儚く消えていった。
自分が切り伏せた人の形をした鬼は、まるで本当の人間のように、雪景色に鮮血の華を咲かせた。
ただ、そうではない証に、その体は土が崩れるように掻き消えていった。
本体の髪飾りだけ残して。
ただ物悲しかった。
たとえそれが友を殺したモノでも。
何が残ったと言うのだろう。
何が残ったと言うのだろう。
ただの。
「母上……」
堕ちる思考を遮るように若い娘の声が掛かった。
鞘を持った冷えた指先が、鎧を纏わぬ戦士の背中に触れた。
雪の上にわだかまった薄い羽織を片手で拾い上げて、母の頭に被せ掛ける。
小袖と素足のままの白い足が痛々しい。
抜き身の愛刀から残り血が滴って、色彩を作っていた。
小柄な母の背中が、また一回り小さくなったような気がして、君江は羽織ごと抱きしめた。
もう、背は抜いてしまった。
足の治りかけた傷が疼いた。
「帰りましょう……」
中将(あのひと)はもう笑ってくれない。
もう逢えない。
「冷え、ますから……」
ぽつりと、雪の上に溶けた痕ができた。







「わたしが…………?」
「………………」
「………………」
「…………………」
「あなたが」
それを望むんでしょう?








「ワタシは、幸せだったって…ちゃんと思ってるから、大丈夫だよ…。」
新羅は婚姻の間から出たとたんに倒れた。
寿命、だった。
「ほら、そんなにカナシそうな顔をしないでよ」
新羅はあの頃よりずっと細くなった白い腕で、お気に入りのお日さま色の髪に触れた。
最愛の娘。
妹であり、姉でもあり、母でもある、女子。
襖に凭れる様に倒れた自分を抱きしめる。
細い指は力をこめすぎて、白く血の気が無くなっていた。
そろそろかなあ……とは思ってたんだよねぇ………
だから子供を残した。
「最後に鳳様に逢えて良かったぁ………」
愛しい人を見つけられた。
吐息はかぼそくて。
ひかりはまた泣きそうになった。
若い姿のまま、自分達は老いていく。
まだ、美しくて、若々しいのに、その生気は薄い。
「お……て…いかないで………っ」
おいていかないで。
苦しい、苦しい、苦しい、苦しい!
胸が痛い。
血を吐くような、言葉。
「ごめんね………あたしが……この家の最初の………」
"犠牲者"になりそう。
そういって、新羅は穏やかに微笑んだ。
「でも、ワタシが最初で。ひかりじゃなくて良かった。」
だって、ワタシそんなの耐えられないもの。
ひかりの顔が痛そうに歪んだ。
「駄目だよそんなカオしちゃ……。ふふ、嬉しいけどさ。子供達が不安がるよ。」
今月、新しい家族が増えたばかりなのに。
ひかりの子供は、もう三人になった。
「………ワタシの子、育ててね。あたしじゃもう無理みたいだし。」
愛しい人の子だから、自分で育てたかったけどさ。
「イツ花……そこにいる?」
新羅が呼ぶと、ひっそりと控えていた巫女装束の少女が、影の中から現れた。
「御前に……新羅様」
「皆を呼んできて」
「はい」
踵を返して走っていく音は驚くほど小さい。
だるさに目を閉じていた新羅はふと気がついた。
きっと気を使ったのだろう。
そうとしか思わなかった。
「ワタシ……この家に遣わされたの、って……あんたに会うためだと思ってた…」
「うん……」
「違うんだ……」
そっと冷えた指先がひかりの頬に触れた。
気に入りの髪が、少しくすんで見える。
もう自分達は歳だ。
以前のように、体が動かない。
討伐に行っても、使うのは術ばかりだ。
なんだかそのことが悲しかった。
いつもワタシはこの子の為に生きてきた。
導き役として、母、白雪神から遣わされたのは。
でも、違った。
「あんたは……いつも願ってくれてたんだね…」
「うん…………うん………」目が熱くて、開けていられない。
「あたし……」
きっとしあわせになるためにここにうまれたんだ。






急に雲が翳った気がした。






浅葱(瀧) 新羅
享年一才十一ヶ月







「…………………」
「…………………」
「……………僕達は」
「…」
「コレ以上も無いくらいに、似たもの同士だね。」
「…そうね」
「でも」
コレ以上も無いくらいに、相容れぬ存在。
なんだかそれが寂しかった。









「氏……神?」
「はい」
祭壇に祭られている親友の遺体を見て、呆然とした。
何故祭壇。
天界の娘イツ花は、一族最初の死者が、氏神として天にあがれる事を告げた。
「こんなことは、異例中の異例なンですがぁ……。一族初期時にしては新羅様は素質が飛び
ぬけて良く、奉納点、戦勝点ともに大変優秀な成績を残されましたし、新羅様の父上であら
れる浅葱家七代当主様、千忠様、母上であられる水神、苗場ノ白雪姫様、そして先日交神の
儀を交わされた鳳あすか様からも、氏神として祭ることを強く願われまして……」
イツ花がなにか長々と説明してくれていたが、そんなことは耳に入ってもいなかった。
再び、会えるのか。
あの親友に。
「というわけで、当主様の一言で、天界の一柱が……」
「イツ花…イツ花待って。」
「ハイ?」
巫女装束の、柏木が三本の前髪と一緒に揺れる。
「あ、あたしにも分かるように言って…?」
「えーと、つまりですね!」
にっこり笑った。
「当主様が一言『ウン』と言ってくだされば、新羅様が神に成れちゃうンですよ!!」
ひかりはうかつにも腕に抱いた親友の子を取り落としそうになった。




顔を上げて、空を見た。
こうこうと輝く日差しが眩しい。
もうすぐ春が来る。
蒼い空の下、乾いた風が吹きすぎて行った。
もう、時間が来る。
「きっと、あの子は知っているのね…」
ともすれば風にまぎれてしまいそうなほどに微かな声。
「誰が何を」
少年は辛抱強く聞き返してやった。
「イツ花が……」
私達の罪と末路を。
少年がその透けた体をわずかに震わせた。
「ねえ、キツト。私達は、また会えるかしら。」
「さあね。それは天界の鬼と地に堕ちた神が決めることさ。」
平静を装って、少年は限りなく真実に近い軽口を叩いた。
「つまり、この血が。」
そういって、少女の腕を長い食指で示した。
その異常なまでに白くなった指先には、鮮やかに赤がこびりついていた。
「そうね……」
伏せた目もとに、深い影ができた。
以前は眩しいくらいに輝いていた金の髪も、睫も、いまは白っぽくくすんでしまっている。
それでも、彼女は美しかった。
「私の子……見ててね。最後まで。」
「自分でしなよ」
「ええ、もちろんよ。でも、一緒の方が、良いでしょう?」
少年は改めて少女を見やった。
春のあたらしい芽の色の瞳は、優しく笑んでいた。
「一緒……ボクとかい?」
「うん」
「正気?」
「ええ」
「おかしいよ、君」
「知ってるわ」





「それも、面白いかもしれないね」













享年 1歳7ヶ月
初代当主 瀧 ひかり

呪われた子供は、呪われた一族を生み、その一族は遠い未来、鬼と呼ばれた神の子を天に送り、
天の神々に弄ばれた人々を解放する。
皆、生きて、そして死んだ。
その短すぎる人生は、悲しいものだけではなかった。
そう、言える。
遠い遠い未来、1000年の時を経て、呪われた子供はただの乙女として転生し、
ある少年と出会うことになる。
その少年の目元に、奇妙な痣があったかどうかは、また別の話。






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